兵庫・生と死を考える会/2009年2月、月例会


W.ヘルベルト


西洋哲学に於ける死生観


「哲学はけっして専門家だけのものではない」とカール・ヤスパース[Karl Jaspers (1883-1969)]は言いました。哲学とは時代と文化圏を超える人間の基本的な営みの一つです。「哲学する」とは哲学的な問い掛けをすることなのです。哲学は、驚嘆、懐疑、震撼等から生まれます。驚嘆とは「当たり前」の物事を新しい目で見、存在していること実体に驚くこと。懐疑とは、伝来の神話、説、思惑に疑問を抱き、自分自身で信憑性を吟味すること。また人間は、病気、苦難、不慮の災害、罪悪感、死と死別等の「極端な体験」によって限界を感じ、「震撼」します。その時、誰でも何故こういう事が起こるのか、人生と死の意味を問うことになり、余儀なく「哲学者」になります。決まった答えなどなく、実はいろいろな哲学的な問いは謎のままです。その

ひとつは「死」です。「死」は解決できる問題ではなく解けない神秘です。

ヤスパースは文化横断的に人類の意識変容があったとする時を「枢軸の時代」と名付けました。西暦紀元前 800-200年の間、同時に釈尊、老子、ウパニシャドを編纂した賢者達、ピタゴラス、ソクラテス、プラトン等が活躍しました。人類の思想の古典/基盤が出来上がった時期です。その時、「魂」と「大いなる神性」が「発見」されました。「魂」とは、人間に内在している不死不滅の要素ですが、文化圏によって、仏性、真我、アートマン等とも呼ばれます。「大いなる神性」も、また色々な名で呼ばれています:超越、神、神性、道、空、法身、絶対的一者、ブラフマン等。表層が違っても、深層から見ると共通の考えがあり、魂と神性が究極的同一であるとその繋がりの考察がなされました。これは神秘思想の基本的な考えにもなります。

ピタゴラス[Pythagoras]は紀元前570年頃生まれ、恐らく自分のことをphilosophos(智慧を愛する者)と呼んだ最初の哲学者で、古代ギリシャ人にとって馴染みの無かった、魂の不死不滅についても語りました。その頃すでに魂の生まれ変わり、輪廻天性を教えていたのです。とても質素で、禁欲的な生活をおくり、すべての生き物が尊い存在だと感じていた為、菜食者でもありました。

その後、魂の不滅を深く信じたのは、ソクラテス [Sokrates(紀元前凡そ470-399)]です。ニーチェ [Friedrich Nietzsche (1844-1900)]はユーモアたっぷりに、彼を「偉大な天邪鬼」と呼びました。アテネで彫刻家の父と助産婦の母の間に生まれ、活躍しました。ソクラテスは「自分は無知だ。しかし対談によって「真理」が生まれることを手助けできるかもしれない」と主張し、その方法を「産婆術」と名付けました。アゴラーと呼ばれる広場兼市場で人々に突然話しかけて、「美」とは何か、「良い人生」とは何か、「美徳」とは何か、などの質問を投げ掛け、独特な問答法で答えを探りました。アゴラーでは、いつもソクラテスの哲学に魅了された若い、家柄のいい少年達に囲まれ、興味深い討論が繰り広げられました。伝統的な慣習、倫理観、世界観等を頻繁に問い直そうとしたため、後に若衆に悪影響を及ぼしていると反感をかうことになります。どうして哲学するのかと問われ、ソクラテスは心の中で「聞こえている声」に従っているのだと答えました。そしてその「声」をdaimonionと表現しました。それは「魂」、「神性の声」あるいは「良心」と解釈できますが、当時のギリシャ語では「神」という意味もありました。彼の哲学とは「新しい神」の教えであり、アテネの神々を否定しようとしていると非難され「不敬罪」に問われます。ついに399年「冒瀆と若者を堕落させている」という罪で裁判になり、死刑判決となりました。逃げる事もできたのですが、毒ニンジン汁を飲み、泰然自若な態度で死に臨みました。魂は不死と確信していたからだと思われています。

プラトンの「ソクラテスの弁明」によると、ソクラテスは「死は永眠であるか、「魂の移住」である。この世からあの世への旅で、そこでは愛する人や英雄や偉大な者に会う事ができる。死はけっして恐るべきものでない」と語ったとあります。「魂の気遣い」が哲学の目的だと弁論の中でも強調し、富、名声、権力等を追究するより、魂を浄化する、良い生き方することが一番大事だと言いました。品物で溢れているアゴラーに出た時も「私が要らない物がこんなにあるとは!」と呟きました。生前魂が肉体から離れる、すなわち様々な欲求から解放され、ある意味で「死ぬ」ことを省察することも哲学だと解きました。ソクラテスは哲学者の鏡であって、彼の「魂」の概念がプラトンに伝播され、西洋思想の柱の一つにもなっています。ピタゴラスも「旅に出ると、振り向かないで」と言いました。この世に執着しないでという意味です。哲学とは勉学というより生き方です。

古代の哲学者は哲学すると、心の平安がもたらされると思っていました。その心の平穏 - なぎにもよく例えられた - を保つためには、死の恐怖を排除しなくてはなりません。エピクロス[Epikuros (342-271)]が、「生きているかぎり、死は存在していない、死が訪れると、生命はもうない、従って死は無関係、気にしなくていいことである」と解きました。ストア派の哲学者がそれに対して、プラトン[Platon (427-347)]と同じく、「生きることは、死ぬことを学ぶことだ」と説き、プラトンは哲学するとは常に死の観想をすることだと言いました。そうすると、今の瞬間、命の尊さをよりよく意識することになると考えたのです。

教父アウグスティヌス Augustinus (354-430)]が「De ordine」という文献の中で、哲学の探求とは二つしかないと書きました。一つ目は魂の探求、自分をよりよく知ること、二つ目は神の探求、自分の根源を知ることだと言明しました。アウグスティヌスは新プラトン派の神秘主義者プロティノス[Plotinos (204-270)]の哲学に精通していました。プロティノスは「絶対的一者(絶対的な善、美、真)が存在を超越しながら、包含している、そこから万物が流出して、人間は魂によって一者と分有し、一者と同一であるから、一者を無意識であっても愛し、「エロス」という力によって、一者と合一することを望み、根源に戻ることが最終的な目的である」と説きました。そのための修行法も教え、自分もエキスタシスと呼んだ状態になって、生前四回も合一を体験したと伝わられています。プロティノスは神秘思想に決定的な影響を及ぼしました。哲学と宗教学がまだ分離していない時代でした。魂と神は存在か非存在かという問いは形而上学の分野です。近代になって形而上学は哲学からほぼ消えてしまいました。

啓蒙啓発時代の有名な哲学者カント[Immanuel Kant (1724-1804)]は、もう一度形而上主義的な問いを解明しようとしました。純粋理性を使っても、魂の有様とその不滅についてなにも分からない、神の存在あるいは非存在も立証も反証もできないと分析しました。「理性」の射程外の次元ですから、理解を超えている世界です。カントは、神は存在しないと言ったわけではありません。その後哲学は無神論にまで展開します。哲学から形而上学が外されることになりました。自然科学、技術、経済などの進歩と近代化プロセスによって、唯物論が支配的な世界観と物質主義が主流の価値観になったのです。人類の歴史で見ると、非常に短い期間で、およそ二百年前からの現象です。

ドイツ観念論では、形而上学を復活させる試みがあって、「常識」を覆し、滅びる「物質」より「精神」の方が実存であると主張しました。代表者は皆プロティノスの文献を参考にしました。観念論(精神論、唯心論とも呼ぶ)は神秘思想の仲間であり、両方とも理性の限界を解析しています。

中世の神秘主義には多元的認識論があります。人間は物事を認識するために、三つの知識の眼があると考えられていました。その三つとは、肉の眼(五感、経験主義)理知の眼(理性、合理主義)と黙想の眼(魂、神秘主義)です。先ほどの次元で言いますと、それそれを把握するための的確な眼の使い方があります。物質、身体、物理の世界は肉の眼、数学、論理、象徴の解釈、文学などの世界は理知の眼を使って見ることができます。そこまでは現在の科学の領域内であり、その存在は認められています。ただし神や魂を肉の眼や理知の眼で見ることは不可能です。それらは黙想の眼の次元に「いる」からです。この眼を使えるようになる為には「訓練」:黙想、静思、観想、瞑想、祈祷、集中祈り、ダラニ、只管打坐、座禅、ヨガ、様々な修行、が必要なのです。現代人は仕事、金儲け、娯楽等に追われ、そのための時間がありません。それで「黙想の眼の次元」を全面的に否定することが通説になっています。神秘主義の古典的な定義は:cognitio Dei experimentalis:すなわち「神を実験的に体験すること」、生前魂の不死と神との合一体験することです。どの時代、どの文化圏でも、黙想の眼を開けば、それが可能であると、宗教的な天才と達人が証言しています。

ショーペンハウアー [Arthur Schopenhauer (1788-1860)]は自らも神秘的な体験をし、彼の哲学では「死」が注目され、仏教とインド哲学(ウェダータ派)の共通点もたくさんあります:万物と人間は究極的に同じ本質を持ち、同一であると考えました(ウパニシャドの梵我一如の説)。ショーペンハウアーは倫理の原理についてこう解いています。「人とどう接するべきかと考える時、人間の威厳を尊重することは重要だが、人間の条件として忘れてはならないのは、人の存在の虚弱さだ。どんな人でも悩み、病、老衰、死という「苦」に出会う。人間の脆さと弱さこそ道徳の出発点として見なされるべきだ」。皆が弱いということを認識すると、相手との連帯感がうまれます。愛情と慈悲が溢れて来ます。その愛こそが哀憐です:”Alle Liebe ist Mitleid”:すべての愛は哀れみである。

ハイデッガー [Martin Heidegger (1889-1976)]は人間存在とは「死への存在」と名言しました。「死ぬことは代理不可能、最も自己的なできごとで、人間の最大の関心や憂慮。他人の死は、自分自身の死を先駆けていて、自分も死すべき存在だと意識させる。哲学は形而上主義的な問いをもういちど突き止めるべきだ」と主張し、古代ギリシャの文献を再読し、独創的な解釈したという業績があります。弟子に当たる精神科医ヤスパースが「神」の「変わり」に「超越」という範疇を哲学に導入して、現代の西洋哲学の一部では、「生死の意味」、「不滅」、「無限」、「魂」、「スピリチュアリティ」等の「大きな問い」に再び挑戦することになりました。唯物論の時代の終焉も間近であると考えられます。



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Hyôgo Sei to shi o kangaeru kai: Kaihô/Bulletin 45, 2009, 6-9


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